Biography
初代
10吋LP
昭和34年~36年
“民謡を大きく分けると自然民謡と創作民謡になります。本集に収められた民謡の数々は、時には新作歌詞は用いたが、その曲調は大体に於いて前者です。そのことは、少年民謡会の在り方における、往き方として当然と思います。少年民謡会の、少年に強い意識を反映させようとするなら、或は、後者に力点をおくこともよろしかったでしょう。しかし、敢えてそうせずに、自然民謡に力点をおき、それらを唄わせてきたところに制作担当者の意図があり、その意図の立派に成功した悦びもあります。自然民謡は、素朴な農民・漁夫らが、いつとなく、誰となく、創りあげ、唄いあげたものの謂です。”
引用・MBK-3065 文、小野金次郎

12吋LP
昭和36年~38年
『ビクター少年民謡全集』は、昭和37年に発売されたLP3枚組のボックス、全42曲収録。
『ビクター少年民謡会愛曲集』は昭和38年発売。
“ビクターレコードは、元来民謡歌手の宝庫である伝統があって、当時は市丸がチャッキリ節 天竜下ればで名をなし、勝太郎また佐渡おけさをもって天下を風靡、やや時代を過ぎて鈴木正夫が東北民謡をもって民謡界に君臨するという黄金時代を現出したのはオールドファンには記憶に残っていることと思います。”
引用・少年民謡ベスト16曲 (MBK-5006)文、和田高司
EP盤(民謡)
昭和35年~36年
“人達が、まず驚いたことは、彼らの唄の清潔なことでした。また真似ず阿らず。子供の綺麗な心そのままで、唄っている、その態度でした。少年民謡の存在はそこにあり各人が個々でなく、一つに溶けあっていることです。”
引用・MBK-3065 文、小野金次郎
オリジナル盤(EP)
昭和35年
“ビクター少年民謡会の少年少女達を、民謡の世界だけに定着させず、幅広く歌謡曲のジャンルに迄も発展していきたいと云う希望は誰しもがいだいた夢でした。しかしその夢は、極めて可能性のある夢だったのです。”
引用・ビクター少年民謡会 流行歌を唄う 文、和田高司(元日本ビクターディレクター)
初代解散後に再プレスされたEP
昭和38年~39年
委託レコード
昭和35年

フイルム・レコード
所謂ソノシートという、薄いレコードが入っている冊子。
“いかにレコード会社といえども手をこまねいてタレントが集まるわけではなく、当然こうした組織や団体を通して日常のスカウトが行われているわけです。少年民謡会が世の中に紹介され、おどろくほどのスピードで芸能界にアッピールしたのも、実はこうした母体があってはじめてなし得た事なのです。ただ他と趣を異にするのは最初から商業ペースに乗せる目的で結成されたのではないということです。いうならば親御さんたちの趣味の副産物として生れてきたものです。”
引用・少年民謡ベスト16曲 (MBK-5006)文、和田高司
初代メンバー時代の『最終盤』

“最初の一~二曲の頃は、メロディーや、モチーフを把握するのに骨を折って何回も何回も、たしかめ、或る時は泣きべそかいていた、あの顔この顔が、もうそれなりの持味をもち立派に生長しているのは驚ろきに値します。”
引用・ビクター少年民謡会 流行歌を唄う 文、和田高司(元日本ビクターディレクター)

二代目
メンバー・間小夜子、鹿島久美子、間留男、石毛洋子、青木恵子
“メンバーは青木恵子(十四)石毛洋子(十三)間留男(十一)鹿島久美子(十七)間小夜子(十五)の五人。いずれも"ビクター民謡わらべ会"のメンバーだった連中だ。
この"民謡わらべ会"というのは、全国募集のとき選にもれたり、また日本民謡協会主催の「全国民謡大会」で幼・少年部に入賞した者を集めて作られたもので、野球でいえばさしづめ"二軍"といったところ。
だがこれまで発声や、ピアノに合わせた歌い方など地道なレッスンを重ねてきており、歌のうまさは初代と比べても遜色ないし、人気もそのまま受けついできている。
いま、レッスンは週に一回で、作曲家の石平三郎氏が指導に当たっている。この人は、先代鈴木正夫といっしょに全国を民謡行脚して、数々の民謡を発掘したオーソリティ。いつも三、四時間ぶっ通しで練習しているが、さっぱりバテたようすなど見せず「かえって先生の方がネをあげてしまうくらい・・・・・・」というほどの熱心さだ。”
アルバム各種
EPレコード
昭和38年~40年頃
委託レコード
三代目
メンバー・田野井久枝、小林邦明、塩崎妙子
昭和40年~44年頃
